平安京は犯罪都市だった?平安時代の強盗たちの犯行記録から見えてくる人々の姿:3ページ目
盗品などから浮かび上がる強盗たちの素顔
被害金額ランキング
第1位 田辺延正(7種類、銭76貫300文)
第2位 大神福童丸(4種類、銭15貫700文)
第3位 菅野並重(3種類、銭12貫500文)
第4位 能登観童丸(1種類、銭10貫)
第5位 藤井国成(3種類、銭7貫500文)
第6位 清原延平(2種類、銭5貫200文) ←この辺りが合格?ライン
第7位 岩松(4種類、銭4貫200文)
第8位 紀重春(1種類、銭2貫)
第9位 大春日兼平(7種類、銭730文)
第10位 津守秋方(1種類、銭100文)
※延正は別格として、合格?ラインは銭5~10貫以上と見られ、それ未満の稼ぎだと、リスクを冒してまで強盗に及ぶのはコスパが悪そうです。
今回のMVPは最高金額(銭76貫300文)達成者の田辺延正として、対する今回の「残念大賞」は大春日兼平で文句なしでしょう。
兼平は手当たり次第に7種類も奪いながら、その価値は銭730文にしかならなかった徒労っぷりはもちろん、50歳(※)にもなって強盗に走らざるを得なかった境遇は、同情するに余りあるものです。
(※)当時の50歳と言えばもう老人、基本的に強盗は体力勝負の荒事であり、今回のデータでも大半が30代(年齢不詳の者もおそらく40代以下)です。
ちなみに、兼平が盗んだ中には用紙50帖(半紙にして1,000枚)なんてものがあり、現代人なら紙なんて見向きもしないでしょうが、当時は紙が非常に貴重でした。
他の生活物資を切り詰めてでも確保していたところを見ると、兼平が強盗に入った家の主は、学問を生業とする下級貴族だったのかも知れません。
それはそうと、古来「窮すれば鈍する」という通り、生活が苦しければ充分な下見や計画を立てる余裕がなく、切羽詰まって麦を主食にするくらい貧乏な家へ強盗に入ってあえない末路を辿るのでした。
もちろん他の者たちも結局逮捕されてはいるのですが、こういう要領の良し悪しは日ごろの仕事≒生活ぶりにも反映されるもので、それまでの人生においても兼平が色んな意味で苦労していたことは想像に難くありません。
終わりに
人間、極限状況になるとその本質がよく現れると言いますが、欲望がむき出しになる犯罪データからは、盗んだ人間のそれはもちろん、盗まれた側の暮らしぶりなど、さまざまな様子が浮かび上がってくるもの。
平安時代と言えば『源氏物語』のようにやんごとなき平安貴族たちの雅やかな暮らしばかりがイメージされがちです。
しかし、こういう地の底を這いつくばるように生きていた者たちの狡猾さや困窮ぶりにも思いを馳せてみると、歴史を学ぶ楽しみも、より深く味わえることでしょう。
※参考文献:
繫田信一『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』文春新書、2020年10月