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溺愛した愛息の死で人格豹変。戦国大名「長曾我部元親」の栄華と没落【前編】

溺愛した愛息の死で人格豹変。戦国大名「長曾我部元親」の栄華と没落【前編】

織田信長との対立

元親の正室は美濃国の斉藤家と縁戚関係にあり、信長の正室が斉藤家の出自であったことから同盟関係を結んでいた。

当時の四国は、元親の土佐国以外に「伊予国」「讃岐国」「阿波国」の3つの国が存在し、覇権を争っていた。元親は四国統一に乗り出し1580年までに讃岐国と阿波国を平定する。

順調に四国統一の道を歩む元親だったが、伊予国を援助する毛利氏や、元親の四国平定を良しとしない信長と対立。反長曾我部軍により一時的に劣勢に追い込まれるが、82年に本能寺の変が起こったことで危機を脱した。

【後編】へ続く

 

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