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戦国時代に栄華を誇った帰雲城、天正大地震で一夜にして忽然と姿を消す

栄華を誇った帰雲城、天正大地震で一夜にして忽然と姿を消す

領地を安堵され内ヶ島氏理は、祝宴を開くため、一族郎党を帰雲城に集めます。そして、祝宴が明日に迫った日、信じられないことが起きました。

すなわち天正131129日(1586118日)深夜、突然の大地震が白川郷を襲いました。いわゆる天正大地震です。震源域は飛騨を含め、北陸から近畿、東海地方にまで広がる史上例を見ないほどの大規模な地震でした。

この地震によって、白川郷でも大規模な山崩れが発生。帰雲山は山体崩壊をきたし、帰雲城は城下町ともども一瞬にして崩落した土砂の地中深くに埋まりました。

城主内ケ島氏理以下、一族郎党を含む領民五百人はことごとく遭難。一夜にして大名・内ヶ島家は滅亡したと伝えられます。飛騨国では、白川谷の被害が最も激甚であったため「白川地震」とも呼ばれています。

ちなみにこの天正13年は、羽柴秀吉が関白となり、朝廷から豊臣姓を下賜された年です。大名としての内ヶ島家は滅亡しましたが、生き残りも確認されています。

氏理の弟・経聞坊(きょうもんぼう)ともう一人の弟は仏門に入っていたため、難を逃れています。経聞坊は『経聞坊文書』を歴史資料として残し、白川郷における地震の記録を綴っています。

荻町城の城主であった重臣・山下時慶・氏勝親子も生き残り、氏勝はのちに尾張徳川家に仕えています。

内ヶ島家は、多くの金山を持っていたことで知られました。天正大地震によって、集めた金も地底に深く沈んだとされています。

帰雲城には、内ヶ島家五代百二十年に及ぶ金が集積されていた、という説もあります。このことから、同地には現在も埋蔵金伝説が残されています。

想定される金の量は、現在の価値に換算すると総額一兆円とも言われています。

参考文献

 

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