「英雄色を好む」ということわざもあるように、豊臣秀吉や伊藤博文など、英雄と呼ばれた昔の偉人には「女好き」も多かったようです。
ただ、功績や活躍ぶりよりも、「女好き」ということが後世に語り継がれることとなった残念な偉人もいます。
この記事では、そんな残念な偉人の1人「池田綱政」についてみていきましょう。
「池田綱政」とは
池田綱政(1638年~1714年)とは、備前岡山(岡山県)の2代目藩主です。
有名な功績と言えば、現在の岡山県岡山市にある日本三名園のひとつ、「後楽園」を造営したことでしょう。
東京ドームの約3個分の広さを有すると言われる「後楽園」は、綱政が代官の津田永忠に命じて14年の歳月をかけて完成させており、元禄文化を代表する日本庭園です。
また、芸術性や観賞価値が高い土地に指定される名勝として大正11年に指定され、昭和27年には特別名勝に指定されるなど、時代を超えて人々を魅了し続けています。
そのほか、倉安川や百間川の治水工事をして洪水対策をおこなったり、新田開拓をしたりして岡山藩の財政難を再建した名君とも言える人物なのですが…
手当たり次第に女性を抱く「池田綱政」
綱政が生涯にもうけた子供の数は、なんと「70人以上」といますから、どれだけ手当たり次第に女性を抱きまくったのかは想像がつくところでしょう。
そのため、城内では常に女性たちの争う姿が見られ、怒鳴り声も聞こえていたと言います。
ただ、当の本人は「のほほ~ん」としていたそうです。