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女好きは英雄の証?なんと70人以上もの子供をもうけた藩主「池田綱政」とは

女好きは英雄の証?なんと70人以上もの子供をもうけた藩主「池田綱政」とは

/ 人物
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2021/04/19

幕府には過少報告

70人以上の子供をもうけたとされる綱政ですが、幕府には過少報告しており、「寛政重修諸家譜」では14人と記されています。

さすがに、70人以上もの子供は届けにくかったのかもしれませんね…

…と、ここで終わってしまうと、綱政に残念なイメージがついてしまうことでしょう。

そこで、綱政が後楽園を造営した理由と活用方法について紹介し、少しイメージアップをしておきたいと思います。

後楽園の活用法

後楽園

後楽園の築庭は、美しさを追求した観賞のみの庭園ではなく、藩主や側室の女性などが人目につかぬよう城と城下町を行き来できるようにする警備上の目的などもあったようです。

観賞面での活用

綱政は、造営した後楽園に家臣の家族のみならず領民も招いて能を公開したほか、参勤交代で自分が留守にするときには日を決め、領民も庭園を見学できるようにしました。

警備面での活用

城内での火災発生となった場合には、側室や姫、そして城内に住む女性を後楽園へと避難させるよう側近に命じています。

憎めない殿「綱政」

参勤交代の道中でも足を止めて富士山を眺めたと言われる綱政、美しい景観だけでなく、美しい女性にも目がなかったのかもしれませんw

70人以上の子供をもうけたことで、「女好き」がクローズアップされがちな綱政ですが、この記事でも紹介したように多くの功績をおさめた人物でもあります。

 

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