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戦国時代のハニートラップ!日本初の火縄銃づくりに貞操を捧げた17歳の乙女「若狭」【後編】

戦国時代のハニートラップ!日本初の火縄銃づくりに貞操を捧げた17歳の乙女「若狭」【後編】

答えは「ネジ」の技術だった!

さて、火縄銃の御栓をふさぐ秘密とは、何と「ネジ」の技術でした。

それまで金兵衛は銃身の底を鍛接(たんせつ。熱して打ち、鉄同士をくっつける≒ふさぐこと)しており、どれだけ丹念に打っても接合面が火薬の爆発力に負けてしまっていました。

しかし、素材同士が螺旋状に絡んでしっかりと噛みあったネジであれば、ネジ山(雄ネジ)とネジ溝(雌ネジ)が火薬の爆発力を分散・吸収して押し返し、弾丸を発射する推進力とできるのです。

(※解りやすいよう、ごくざっくりと紹介していますので、専門的なツッコミはご容赦願います)

果たして金兵衛が日本で初めてとなるネジ技術を用いて尾栓を作ってみると、とうとう発射に成功。何度撃っても暴発しない強固な銃身を実現できたのでした。

「ついに出来たぞ!若狭。そなたのお陰じゃ……」

南蛮船に乗って嫁いでいってしまった愛娘に感謝しながら、遠く南洋に目を向けた金兵衛でしたが、その翌年(天文13・1544年)に若狭はあっさり帰って来ました。

「……もはや我慢の限界にございまするっ!」

「そうか……しからば、病にて亡くなったことと致そう……」

再会から数日後、夫・フランシスコを欺くために若狭の葬儀を執り行い、わざわざ棺に納めて埋葬(のフリ)をしたそうです。

「何だ、鉄砲の情報を聞き出すためだったのか!とんだ茶番につき合わされたモンだぜ!」

……天文13年蛮船に駕し来り父子相見る。数日して若狭大病にて死亡たると詐り、棺槨を当てて殯葬す。蛮人これを見て涙を流さず……
※「八板家系図」より。

【意訳】天文13年に若狭が帰ってきて、父娘の再会を果たした。その数日後、若狭が病死したと偽って棺に納め、葬儀を上げた。南蛮人は(呆れて)涙も出なかった。

そりゃそうですよね。フランシスコ氏もお気の毒に……と思わなくもありませんが、そもそも価値観も習慣も、それこそ言葉も人種も何もかも違う同士の結婚ですから、よほどの愛情がなければ乗り越えられないであろうことくらい、予測できそうなものです。

まして大航海時代の白人と言えば世界中を侵略し、有色人種を片っ端から奴隷としていましたから、もしかしたら若狭は南蛮人の妻ではなく、女奴隷くらいにしか思われていなかった?のかも知れません。

エピローグ

月も日も 大和(やまと。日本)の方ぞ なつかしや わが双親(ふたおや。両親)の あると思えば

若狭

ともあれ、若狭が捨て身の覚悟で南蛮人から聞き出したネジの技術は、火縄銃の量産化を進めると共に、日本のものづくりを大きく発展させることとなりました。

若狭の没年については未詳ですが、その墓所は鹿児島県西之表市にあり、今も蘇鉄(ソテツ)の陰から人々を見守っています。

【完】

※参考文献:
佐々木稔『火縄銃の伝来と技術』吉川弘文館、2003年3月
徳永和喜『種子島の史跡-歴史寸描』和田書店、1983年9月

 

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