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天下に号令する未来を予言?織田信長が贈り物の鷹を辞退した理由とは?

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エピローグ

いやぁ流石は信長、自身の覇業を宣言通りに成し遂げるとは……というお話しなのですが、『信長公記(しんちょうこうき。信長の側近・太田牛一の日記)』にあるこのエピソード、伝本によっては書かれていないものもあり、後世の創作とも考えられます。

そもそも、いくら鷹が好きだからと言って、牢人ならともかく城持ちの身分で、丹波国から遠路関東まで求め(購入?捕獲?)に行き、苦労して手に入れた鷹を主君(丹波守護代・内藤備前守)でなく信長に献上する、という行動が不可解です。

鷹の産地であれば隣国の丹後(現:京都府の北部)や、ちょっと遠いですが石見国(現:島根県西部)があり、わざわざ関東まで出かける理由に欠けます(物見遊山を楽しむほど平和でもありませんし、自身の留守に何があるか分かりません)。

ちなみに、江戸時代中期に書かれた徳川家康(とくがわ いえやす)の伝記『武徳編年集成(ぶとくへんねんしゅうせい)』にもこのエピソードが入っていますが、こちらでは赤沢出雲守(いずものかみ)、角鷹の数も三連となっており、記述もあやしい感じです。

でも、鷹などの猛禽類は種類によって15~20年以上も生きるそうですから、もしかしたら義政が約束を覚えていて、上洛を果たした信長に角鷹を献上したのかも知れません。

「上様、今こそこちらの二連、どうかお受け取り下され」

「……うむ!」

真偽のほどはともかくとして、いかにも信長らしい豪気なエピソードとして、今も人々に愛されています。

※参考文献:
和田裕弘『信長公記-戦国覇者の一級史料』中公新書、2018年10月

 

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