裏切りと身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【中編】:2ページ目
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主君への裏切り
1569年。台頭していた尾張の大名「織田信長」と、播磨国(現在の兵庫県主)の武将「赤松政秀」と結び、主君である浦上宗景を裏切った。しかし、赤松政秀の敗戦や信長の撤退により情勢が傾き、結果的に降伏を余儀なくされてしまう。
本来であれば処刑も免れない罪状であるはずだが、宗景は直家を許し助命している。
懲りない直家は一度目の離反失敗の後、水面下で行動を開始。宗景の兄である政宗の孫「久松丸(ひさまつまる)」を担ぎ出し、自身の領地へ引き入れることに成功する。
1574年。再度の離反を決行。久松丸の擁立と得意の調略によって宗景方の裏切りを煽り、安芸国(現在の広島県)毛利氏の後ろ盾を得た直家は宗景を播磨国へ退けることに成功。備前国と備中国の一部・美作国の一部を支配域に置いた。
【後編】では、直家の晩年と、謀略、調略の信憑性を検証する。
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