ペリーの黒船に忍び込んだ男!? 幕末最後の忍者、澤村甚三郎 :2ページ目
日本で最後の忍び働き
嘉永6(1853)年、浦賀にペリー率いる黒船艦隊が来航して来ました。さらにペリー艦隊は、翌年の安政元(1854)年に日米和親条約締結のために再度来航します。『隠密用相勤候控』『澤村家由緒書』によると、この時甚三郎にも潜入の命令が下ったといいます。
ただし甚三郎は、忍者装束で潜入したわけではないようです。
安政元年の時に、ペリー艦隊は日本側の人間を艦隊に招待して饗宴を催しています。同時に船内の見学も許していました。甚三郎は、この時に随員の1人として乗り込んだものと考えられます。
ここで甚三郎は艦隊の船員たちから聞き込み調査などを行ったようです。
下船後、甚三郎は黒船の中からある品物を入手して来ました。まずはパン2個。このうち一個は、藩主の息子に求められて献上したと記録にはあります。次いで、タバコ2本とロウソク2本。これらは開港後は珍しい物ではなく、その後紛失したようです。
最後に文書2通を手に入れてきています。その文章もご紹介しましょう。
「Stille water heft deist ground」
こちらの1通は「音のしない川は水深がある」ということわざが記されてあり、綴り間違いがありました。
「Engelsch Meidai in de bed Fransch meid in deKeuken,Hollandsch meid de huishoulding」
「イギリス女はベッドが上手、フランス女は料理が上手、オランダ女は家事が上手」と英語で書いてあります。綴りが間違いだらけなので、下級船員のふざけた言葉のようです。
この甚三郎の任務は、記録上確認できる最後の忍び働きとされています。残念ながら重要な情報は得られませんでしたが、幕末にも忍者は存在していました。
ある意味、世界と関わりを持つ働きをしていた忍者では初めてかも知れません。
参考文献:
- 戸部新十郎 『忍者と忍術』 中央公論新社 1996年
- 山北篤 『図解 忍者』 新紀元社 2015年