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冥途もお供いたします…政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【下】

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見殺しにされた高天神城、家臣たちの相次ぐ離反

次第に手詰まりとなっていた勝頼の威信が一気に失墜したのは、同年3月「高天神城の戦い」。

守将・岡部元信(おかべ もとのぶ)が徳川に攻められて勝頼へ救援要請を出したものの、勝頼は信長への忖度から援軍を送らず、岡部らを見殺しにしてしまったのです。

「日ごろ主君と仰ぐのは、ここ一番の庇護がため」……いざと言う時に守ってくれないヤツに、命を預けるなど出来はしない。信長が「勝頼は高天神城を見捨てた」と盛んに喧伝したことで、武田領には動揺が広がりました。

「もう武田は落ち目だ、従っていても先がない!」

代々仕えてきた譜代の家臣や、ことさら厚遇されてきた一門衆ならいざ知らず、ただ力で征服され、しぶしぶ従っていた国人衆が次々と武田を見限り始めてしまいます。

「おのれ、裏切り者どもめ……やはり戦に勝って、我が威信を取り戻さねば!」

勝頼は不屈の闘志を燃やしてなおも戦い続け、北条や徳川と死闘を繰り広げる一方では織田との和睦交渉を継続、何とか活路を見出そうとしていましたが、信長にその意思はありません。

信長は朝廷に働きかけて正親町(おおぎまち)天皇に「勝頼は朝敵(朝廷の敵=征伐対象)である」ことを認めさせ、近く兵を興すことを家臣たちに下知しました。

そして天正十1582年、信長が武田征伐の大軍を進めると、勝頼の義弟(信玄公の娘婿)であった木曾義昌(きそ よしまさ)が織田に寝返ります。

「ついに勝頼は、身内(一門衆)にまで見放されたぞ!」

これを皮切りに武田家臣の離反が相次ぎ、瞬く間に領土が削り取られていきました。最期まで抵抗したのは勝頼の異母弟・仁科盛信(にしな もりのぶ)が守った高遠城のみで、残りはことごとく降伏。

極めつけとして、勝頼の義兄(信玄公の娘婿)である穴山信君(あなやま のぶただ。梅雪)までもが降伏。これによって駿河国(現:静岡県東部)を失い、とうとう甲斐一国にまで追い詰められてしまいました。

3ページ目 「冥途もお供いたします」天目山で壮絶な最期

 

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