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人づくりこそ、国づくり…台湾の教育改革に命を奉げた六氏先生のエピソード

人づくりこそ、国づくり…台湾の教育改革に命を奉げた六氏先生のエピソード:2ページ目

これまでの「よそ者」たちと様子が違った日本人

さて、晴れて小学校を開いた伊沢修二ら8名ですが、最初から台湾住民に受け入れられた訳ではありませんでした。

「どうせ、日本にとって都合のいいきれいごと(プロパガンダ)を吹き込むための場所だろう?そんなところに誰が通うものか!」

オランダ統治から二百数十年……その後入れ代わり立ち代わり台湾を統治してきたよそ者(※)たちは、台湾人を利用・搾取(そして弾圧)こそすれ、親身になってくれたことなど一度もありませんでした。

(※台湾の語源となる一説に、原住民のシラヤ族が外部からの訪問者を「ターヤン」「タイアン」などと呼んだことが挙げられますが、まさに台湾は「よそ者」によって翻弄され続ける歴史を歩んで来ました)

住民たちの拒絶に直面した8名でしたが、それでも懇切丁寧に「なぜ教育が必要なのか」「教育によって生活がどのように変わっていくのか」「新しい生活が、台湾人をいかに幸せにしていくのか」ビジョンを説いた結果、ようやく6名の生徒が来てくれるようになりました。

「まずは、意志の疎通を図るため、日本語を学んでもらおう」

それまで台湾では数十という原住民が独自の言語を使っており、日本語を通じて国じゅう誰もが自由に話せるようにしたのです。もちろん、家族やご近所同士で話す時は母語の使用もOKです。

「ほぅ、これならよその連中とも話が通じて便利だな」

オランダや清国は台湾人に「宗主国の言葉」を使わせず、コミュニケーションは最低限の命令語あるいは鞭で行っていましたが、今度やってきた日本人はちょっと様子が違う……そんな教育への情熱が、次第に周辺住民の興味を惹くようになっていきました。

3ページ目 匪賊の襲撃によって7名が犠牲に

 

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