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引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その1】

引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その1】

姉・大伯皇女のプロフィール

大伯皇女は、弟大津皇子に先立つ2年前、661年に生を受けました。母の大田皇女は、大伯皇女が7歳の時に亡くなります。後ろ盾となる母を亡くした大伯は、わずか5歳の弟と寄り添うように成長したと思われます。

弟に深い愛情を注いだ姉・大伯皇女

姉・大伯皇女と弟・大津皇子の年の差はわずか2歳差。『万葉集』などからうかがえるのは、大伯皇女が深い愛情を弟の大津皇子に注いでいることです。

弟の皇位継承にまつわる心配事は、絶えず大伯皇女を悩ませていたことでしょう。避けることができない運命の中で、懸命に弟を想う姉の姿には胸を打たれます。

初代の斎王として伊勢へ下向

壬申の乱(※1)で大友皇子(天智天皇の子)を滅ぼした大海人皇子は、673年に即位して天武天皇となりました。

その年、天武天皇は、伊勢神宮と祭神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)を国家の祖先神として諸神の最高神に位置付けます。伊勢神宮において天照大御神に仕える斎王になることを、天武は大伯皇女に命じました。

大伯の血筋のよさと、その清廉さから白羽の矢が立ったことと思われます。大伯は初瀬の斎宮(※2)で潔斎のうえ、伊勢神宮へ下向していきます。弟を残し、大和を離れるその心情はいかばかりであったでしょうか。

※1壬申の乱:
672年に起きた古代最大の内乱。天智天皇の後継者大友皇子が率いる近江朝廷を大海人皇子軍が破り、大友皇子を自決に追いやった。

※2斎宮:
斎王になる女性が潔斎(身を清める)を行う場所

【その2】に続く……

 

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