そんな理由で?日本実業界の父・渋沢栄一が今まで紙幣の顔に選ばれなかったのは、アレがなかったから:2ページ目
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海外では過去に使われていた!渋沢栄一の紙幣
かくして新一万円紙幣の顔となる(予定の)栄一ですが、実は日本国外では紙幣の顔として選ばれたことがあります。
時は20世紀初頭、お隣の朝鮮半島・大韓帝国(だいかんていこく。光武元1897年~隆煕四1910年)では光武六1902年から同八1904年にかけて栄一の肖像が印刷された第一銀行券が使われていました。
第一銀行は栄一によって設立された日本で初めての銀行であり、現在もみずほ銀行として日本経済の重要な一角を占めている事からも、当時の日本政府がいかに朝鮮半島の経済開発に力を入れていたかが分かります。
しかし、栄一の経済貢献≒活躍&人気を快く思わなかった伊藤博文(いとう ひろぶみ)が水を差します。
「大韓帝国はれっきとした主権国家でありながら、その通貨が日本の銀行券では、朝鮮人のプライドが損なわれてしまう。やはり大韓帝国で独自の紙幣を発行すべきであろう(大意)」
かくして栄一の紙幣は中央銀行券(後の朝鮮銀行)に切り替えられてしまいましたが、百年以上の歳月を経て日本でも栄一の功績が広く知られるようになり、誠に喜ばしい限りです。
これまでは高額出費について「あぁ、諭吉が飛んでいく」などと表現していましたが、これから当分は「あぁ、栄一が飛んでいく」に変わっていく事でしょう。
※参考文献:
多田井喜生『朝鮮銀行―ある円通貨圏の興亡』PHP新書、2002年2月
内海準二『お金の大常識』ポプラ社、2004年10月
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