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後藤象二郎と板垣退助は子供の頃、本当に坂本龍馬をいじめていたのか?

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土佐の身分差別は本当!でも龍馬を2人がいじめたエピソードは創作

当時は土佐以外の藩にも「上士・郷士」という武士同士の間の身分制度は存在しました。
土佐藩では、その差別がより厳密に行われていました。

例えば、足袋や下駄、日傘などの使用は上士のみ可で、郷士には許されていませんでした。

それなら、上士である後藤や板垣は郷士である龍馬を本当に差別し、いじめていたとしても不思議はないだろう…と考えたいところですが、実はそのような記録は一切残っていないのです。

後藤象二郎が坂本龍馬の盟友として関わるようになったのは、1865(慶応元)年~1866(慶応2)年頃のこと。龍馬も後藤も、当時20代後半くらいでした。

さらに板垣退助に至っては、同じ土佐藩出身という共通点こそあったものの、生前に龍馬に会ったことは1度もありませんでした!

あまりにも厳しい身分差別が存在すると、お互いの接点がなくなり、日常的な「いじめ」が起こる余地すらないのかもしれません。

なぜ「いじめっ子後藤・乾」と「いじめられっ子龍馬」という設定に?

では、なぜ作品中ではこのような設定になったのでしょうか?

これは「坂本龍馬の生涯」に大きく関わってくる重要人物が長編マンガの後半になって突然登場すると、ストーリーの流れとして唐突な印象を与えるため、伏線として「子供時代からいじめっ子・いじめられっ子という関係だった」という設定にしたことが考えられます。

確かにマンガのストーリーはできるだけ分かりやすい方が、歴史にあまり詳しくない読者もすんなりと入っていけますよね。

参考

 

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