手洗いをしっかりしよう!Japaaan

皿と命のどっちが大事だ!天下の御意見番・大久保彦左衛門に意見した一心太助

皿と命のどっちが大事だ!天下の御意見番・大久保彦左衛門に意見した一心太助

たかが皿っくれぇで……「天下のご意見番」に意見する太助

「……やぁ。お目覚めですかい、エヘヘ」

介抱された彦左衛門が寝床の中で目を覚ますと、枕元には恐縮した太助はじめ、家中の一同が心配そうに見守っていました。

一瞬で先ほどの経緯を思い出した彦左衛門は激昂します。

「ぬぁにが『お目覚め』じゃ!おのれ太助、家宝とも思っておった大切な皿ばかりか、主人であるこのわしの頭まで叩き割りおって……ぁ痛た……」

「殿、どうかご安静に!」

家来に支えられる彦左衛門に、太助は真顔で諫言します。

「あのな……さっき、お殿サマはあの皿を、家宝つまり家の宝だって言ったな。だがよ。皿なんぞいつかは割れるし、また焼きゃあいいが、人はいっぺん殺したら、もう二度と戻らねぇんだよ」

「そもそも、家ってェは人間あってのモンだ。どんなに高級な皿が何枚つくなってようが、それだけじゃ将軍様へのご奉公はかなうめぇ?やっぱり、家の宝と言やぁ人間に勝るモンはねぇよ」

「あとな……割っちまった張本人が言うのもナンだけど、皿の1枚や8枚でオタオタしねぇでくれよ。大久保彦左衛門ってやぁ、かの東照神君(徳川家康)のご生前、一歩も怯まねぇで異議を申し立てた、泣く子も黙る『天下のご意見番』じゃねぇか」

「……いつも講談で話してくれたろ?長篠の合戦以来、数々の戦場(いくさば)で武功を上げて、命を惜しまず奉公したってよ。そんな歴戦の勇者が、たかが皿っくれぇで女ぁ斬り捨てたら、恥ずかしいたぁ思わねぇかい?」

「……うぅむ……」

「1枚割れたと思うから惜しむ気持ちが湧くと思って、おいらぁ残り7枚も割ったのさ。皿なんて端(はな)っからなかったモンと思って、お仲を許してやってくれよ。なぁ?」

聞いていた家来たちも太助の言い分にすっかり賛同しているようだし、ここで許さぬとも言い難い……結局、彦左衛門はお仲と太助を許してやったのでした。

エピローグ

その後、太助はお仲と結婚し、彼女の実家である魚屋を継ぐことになります。ところで一心太助の「一心」とは、腕にキャッチフレーズ「一心如鏡 一心白道(※)」の刺青を彫っていたことが由来です。

(※)鏡の如き一心で、白道(びゃくどう。極楽浄土への道)を目指してまっとうに生きる、真っ直ぐな心意気を意味する言葉。

ちなみに、一心太助のモデルとして小田原(現:神奈川県小田原市)の魚問屋・鮑屋(あわびや)の主人が挙げられているそうです。

小田原は彦左衛門の兄・大久保忠世(ただよ)父子の所領として大久保家に縁が深く、また江戸の築地は別名「小田原町」とも呼ばれたほど移住者が多かったことも、魚屋の太助と彦左衛門を結びつける物語を生み出したのかも知れません。

粋(いき)で鯔背(いなせ)な棒手振(ぼてふり)姿、喧嘩っ早いが情には篤い……そんな江戸っ子の代表として、一心太助は今も愛され続けています。

※参考文献:
夕陽亭馬齢 編『大久保武蔵鐙四 松前屋五郎兵衞之記』夕陽亭文庫

 

RELATED 関連する記事