戦国時代、結婚を拒んで壮絶な最期を遂げた悲劇の美女・藤代御前の怨霊伝説【上】:2ページ目
野心家・津軽為信のあくなき欲望
今は昔の戦国時代、陸奥国鷹岡(現:青森県弘前市)に津軽為信(つがる ためのぶ)という大名がおりました。
一代の梟雄として知られ、元は東北地方の大大名・南部(なんぶ)一族に従っていましたが、主家の衰退に乗じて独立。その政治手腕は
「天運時至り。武将其の器に中らせ給う」
※『津軽一統志』より【意訳】天運に巡り合い、その将器を存分に活かした
などと高く評価され、郷土の英雄として現代に伝えられています。
そんな為信は「英雄、色を好む」の例に洩れず、正室・阿保良(おうら。別名:お戌の方)、側室:栄源院(えいげんいん。俗名不詳)との間に多くの子をもうけましたが、それだけでは満足できず、更なる側室を探し求めたそうです。
「されば、よき女子(おなご)がおりまする……」
家臣の言葉に、為信は食いつきました。