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モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【四】

モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【四】:2ページ目

全モンゴルが泣いた!チンギス=ハーンの直系子孫が大モンゴル国を樹立

その後数年は巡警局長の務めを果たしながら、三男・ジョンジョールジャブ(正珠爾扎布)と四男・サガラジャブ(薩嗄拉扎布)も授かり、公私ともに充実した日々を送っていたバボージャブでしたが、36歳となった宣統三1911年、清国を揺るがす大事件が起こります。

共和制国家の樹立(中国の民主化)を目論む孫文(そん ぶん)が、10月に武昌(ぶしょう。現:湖北省武漢市)で蜂起。後の世に言う辛亥革命(しんがいかくめい)の始まりです。

清国はその鎮圧に乗り出すも、燎原の炎と広がった革命の勢いに抗し得ず、宣統四1912年2月12日に皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンギョロ プーイー。あいしんかくら ふぎ)が退位。かくして清国は滅亡、およそ300年弱の歴史に幕を下ろしました。

「……あれだけの強大さを誇った清国が……滅ぶ時は、あっけないもんだな……」

物心ついてから、ずっと心の奥底で「打倒清国」を唱え続けてきたバボージャブに、ある種の喪失感が生まれたかも知れません。しかし、この歴史の大きな転機は、感傷に浸る時間など与えてはくれません。

辛亥革命に伴い、孫文らの呼びかけに応じて多くの勢力が独立する中、我らがモンゴル族も北モンゴルに独立国家を樹立していたのです。

チンギス=ハーンの直系子孫に当たる活仏(チベット仏教の宗教指導者)ジェプツンダンパ・ホトクト8世(本名ガワンロサン・チューキニマ・テンジンワンチュク)が「大モンゴル国(1911年~1924年)」を建国。ボグド=ハーン(聖なる皇帝)に即位しました。

「ついに……ついに、大ハーンが復活した!モンゴル人のモンゴルが取り戻された!」

17世紀、かつて北元(14世紀に明王朝から中原を逐われた元が、北モンゴルに存続していた王朝)が女真族(後金⇒清国)に降伏してから270余年の歳月を耐え忍んだモンゴル民族が、ついに国家を取り戻した……その喜びは、筆舌に尽くし難いものでしょう。

「Хүрээ(ウレー。万歳)!」

全モンゴルが歓喜に泣いた……そう評しても過言ではない熱狂の中、バボージャブは巡警局長を辞職。家族と集められるだけの兵を集めて大モンゴル国の首都フレー(現:モンゴル国ウランバートル)を目指したのでした。

【続く】

※参考文献:
楊海英『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』文藝春秋、2014年11月
波多野勝『満蒙独立運動』PHP研究所、2001年2月
渡辺竜策『馬賊-日中戦争史の側面』中央公論新社、1964年4月

 

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