端午の節句でたまに見かけるヒゲおじさんの五月人形「鍾馗」とはいったい何者?:2ページ目
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各地に広がり、現代に受け継がれる鍾馗信仰
その後、鍾馗の絵姿を飾る風習は(当時絶頂期にあった唐王朝の影響力によって)東アジア各地に広まり、日本では奈良時代末期から伝わる鐘馗寺(しょうきじ。現:愛媛県松山市)の本尊や、平安時代末期に描かれた辟邪絵(へきじゃえ。魔除けの絵)などに残されています。
鍾馗の絵姿を飾る時期が正月から端午の節句に変わったのは、気温がどんどん上がる初夏は昔から疫病の蔓延しやすい季節だったため、鍾馗の活躍を期待しての事でしょう。
中国では17世紀の明(みん)王朝末期から清(しん)王朝初期にかけてだそうで、日本では江戸の幕末ごろ(19世紀)に絵だけでなく、五月人形(主に関東)や鬼瓦(主に関西)などを飾るようになりました。
そして平成二十五2013年、日本で初めて鍾馗を御祭神として祀る鍾馗神社が若宮八幡宮社(京都府京都市)の境内に創建され、ついに日本の神様の一柱(※はしら。神様を数える単位)となったのです。
5月5日は子どもの日。これからも子供たちが病気に負けず健康に過ごせるよう、鍾馗様のご加護を授かることを願っています。
※参考文献:
島尾新ら編『写しの力―創造と継承のマトリクス―』思文閣出版、2014年1月10日
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