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本能寺の変で安土城を焼いた真犯人は?明智光秀の娘婿・明智秀満が無実と主張する根拠を紹介

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それでは、安土城を焼いた真犯人は?

そして何より、安土城が焼失したのは秀満が自害した翌日(6月15日)。宣教師ルイス・フロイスの記録「日本耶蘇会年報」によれば、秀満が退却した後に入城した織田信雄(おだ のぶかつ。信長の次男)の不始末を火災の原因としています。

「奇狂であるのか愚鈍であるのかでないのだとしたら、なぜそんなことをやったのかわからない」
※ルイス・フロイス「日本耶蘇会年報」より。

当時、信雄は秀満が完全に撤退したのを知った上で占領しておきながら、焼かなくてもいい安土城を焼き払ってしまい、この愚挙が後世まで愚鈍とされる信雄の評価に大きな影響を及ぼしました。

では、なぜ大村由己『秀吉事記』や小瀬甫庵『甫庵太閤記』では秀満の仕業とされたのかと言えば、考えられるのが「秀吉への忖度(そんたく)」です。

彼らの主君であり、明智光秀・秀満らを打ち破った羽柴秀吉は、後に清州会議(信長の後継者争い)で信雄を推したため、信雄の愚鈍なエピソードを書こうものなら、遠回しに秀吉の見る目を疑う事になってしまいます。

(※もっとも、当時の秀吉として見れば「神輿は軽くてナントカが良い」と思って推したのでしょうが)

そこで「死人に口なし」とばかり、天下の名城・安土城を焼いた犯人を秀満にしてしまえば明智一派にヘイトが集まり、それを倒した秀吉の正当性(ついでに自分の評価)も高まって申し分なし……そんな事情が推測されます。

まとめ

新たな時代を切り拓いた革命児として評価され、人気が高い信長を殺したことによって悪役とされてしまった光秀や秀満たち。

しかし、世の中は必ずしも善悪だけで割り切れるものではなく、光秀たちにも言い分があり、信長にも相応の非がなかったとは言い切れない筈です。

とかく「勝ちさえすればいいんだよ(=負けたら何をされても文句は言えない)」的な言説がまかり通り、勝者に媚びる一方で「水に落ちた狗を棒で叩く」のが好きな世の中ですが、たとえ敗れようと道義をまっとうした者には、公正な評価がなされるべきではないでしょうか。

※参考文献:
藤本正行・鈴木眞哉『新版 偽書『武功夜話』の研究』洋泉社、2014年3月21日 初版

 

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