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武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【上】

武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【上】

武士への復帰を目指した甲賀古士たち

しかし永禄十一1568年、六角氏が織田信長(おだ のぶなが)に敗れ去った後は信長に臣従を余儀なくされ、その政権を継承した羽柴秀吉(はしば ひでよし)によって改易(領地を没収)されてしまいます。

この改易騒動は後世「甲賀ゆれ(天正十三1585年)」と呼ばれましたが、平安時代より数百年の永きにわたって甲賀の地を代々支配してきた彼らにとっては、よほど激震的な出来事だったのでしょう。

一部の者は甲賀の新たな支配者となった中村一氏(なかむら かずうじ)や他国の大名に仕えるなど武士の身分を保ったものの、ほとんどは仕官も叶わず平民に身を落とすこととなってしまいました。

「……我らは平安以来の甲賀武士ぞ!たとえ平民に身を落とそうと、その誇りを忘れるな!」

そんな誇りから「甲賀古士(こうかこし。古くは武士であった者)」と称した彼らは、時代も移り変わって江戸時代に入ると、武士身分への復帰を目指して江戸幕府に嘆願活動を行います。

「卑しくも我らが祖先は秘伝の忍術を以て、畏れ多くも東照神君(徳川家康)をお助け奉り……」

甲賀古士たちはいかに自分たちの祖先が卓越した忍術を駆使して亡き徳川家康(とくがわ いえやす)を助け、手柄を立てたかをアピールしましたが、その努力が実ることはありませんでした。

「……いや、そんな大昔の、証拠もないことをそれっぽく言い出されても……そもそも、忍術分野だったら身元が確かで忠義に篤い伊賀流の者たちがいるし……(江戸幕府・心の声)」

一応、江戸幕府にも関ヶ原で武功のあった甲賀衆の子弟から取り立てられた甲賀組(こうがぐみ。こちらは濁って呼ばれる)が組織され、大坂の陣でも高性能の大砲を鋳造する功績を上げたものの、数ある鉄砲百人組の一つに過ぎず、時代と共に窮乏していました。

(※余談ながら、甲賀出身者は傘張りに巧みとの評判だったそうで、手妻の技術が活きたのかも知れません)

3ページ目 武士になれる最後のチャンス!甲賀古士たちの決断は?

 

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