武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【上】:3ページ目
武士になれる最後のチャンス!甲賀古士たちの決断は?
「うぅむ……やはり忍術分野は伊賀流の独壇場。さりとて他に武士としてのアピールポイントもないし、もはや仕官は難しいかも知れんな……」
一度トーンダウンしてしまうと、今度は甲賀古士の結束が乱れて内輪もめが起こり、嘆願活動はグダグダになっていきました。
しかし、彼らの活動によって、それまで秘伝の存在とされていた「甲賀忍者」のイメージが江戸社会に普及。やがて伊賀流のライバル?として現代にまで伝えられているのですから、その努力は決して無駄にはならなかった筈です。
とは言うものの、評判だけでは腹も膨れず「武士(忍者)は食わねど高楊枝」と見栄を張るにも限界があります。
「……どうじゃろう。もはや徳川に仕官の望みなければ、錦旗の下(官軍=新政府軍)へ従わぬか」
時は慶応四1868年1月。旧幕府軍と新政府軍が京都の鳥羽・伏見で本格的な戦闘に突入。後世に言う「戊辰戦争」の幕が開けたのでした。
「その方、正気か?我ら甲賀古士は、畏れ多くも東照神君以来……」
「はっ!……そんなモン『作り話』じゃろ?徳川に取り入るための」
「ぐっ……」
「よぅ考えてみぃ。そもそもわしら、武士になりとぅてこの二百年ばかり、ずっと徳川に媚びへつらって来たんじゃろうが……かつて苦楽を共にした六角の殿サンならともかく、別に何の縁もゆかりもない、まして武士に取り立ててすらくれなんだ徳川に、いったい何の義理があるんじゃ」
「うぅむ……しかし……」
「それに、今回の相手は天朝様(朝廷=天皇陛下)より賜った錦旗(きんき。錦の御旗)を掲げし官軍ぞ。刃向かえば即ち賊軍。その汚名を着せられてまで、徳川に味方する義理があるのか?」
「……」
「決まりじゃ。我ら甲賀古士、みな挙(こぞ)って天朝様に御味方致そう!」
「「「おぅ!」」」
かくして徳川家を見限った甲賀古士は、新たな世で武士となる望みを賭けて旅立ったのでした。
※参考文献:
藤田和敏『〈甲賀忍者〉の実像』吉川弘文館、2011年
大山柏『戊辰戦役史 上下』時事通信社、1968年
和歌山県立文書館「文書館だより 第36号」和歌山県立文書館、2013年