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痛々しいけど愛おしい♡室町時代の中二病文学「閑吟集」より特選14首を紹介【下】

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13、申したやなう 申したやなう 身が身であらうには 申したやなう

【意訳】告白したい。告白したい。私の身分さえちゃんとしていたなら、告白できるのに……。

身分違いな恋の典型例みたいな一首、自分の身分に引け目を感じて告白できずにいる心情が詠まれています。

告白したいのなら、ダメ元でもさっさと白黒つけてしまえ、と思わなくもありませんが、場合によっては相手に迷惑をかけてしまう事にもなりかねず、さりとて何も言わずに身を引くのはあまりにも辛すぎる……。

そんな複雑な女性の恋心は、室町時代も現代も変わらないようです。

14、おりゃれおりゃれおりゃれ おりゃり初めておりゃらねば 俺が名が立つ ただおりゃれ

【意訳】来てよ、来てよ、来てよ!一度きりなんてあんまりじゃない。いいから来てよ!

「おりゃれ」は「おいでやれ」の訛ったもので、何度も何度もせがむ内に、言葉がゲシュタルト崩壊を起こしかけているようです。

一度おりゃられた(来られた≒一夜を共にした)以上、通い続けてくれなければ「捨てられた女」という評判が立てられてしまう……たとえもう愛していなくてもしょうがないから、とにかく形だけでも通って来てよ!そんな必死さが伝わって来ます。

同時に「俺はお前のそういう『重さ』が嫌で逃げ出したんだよ!」と言う男の本音も聞こえて来そうですが、あんまり邪険にあしらうと、『源氏物語』のヒロイン・六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)のような生霊(いきすだま)に憑り殺されてしまうかも知れませんよ。

【エピローグ】痛惜(いとお)しく、愛おしい人々の紡いだ珠玉の歌たち

以上、『閑吟集』から特選14首+αを紹介して来ましたが、いかがだったでしょうか。

「え?これって和歌と言えるの?」

そんな感想を持たれるくらい、現代の五七五七七の定型から逸脱しまくった(※と言うより、元から意識すらしていなかったのではなかろうか)歌の数々に、多くの方は「痛々しさ」を感じずにはいられないようです。

しかし、これらの歌に込められた感情の熱量は、単に下劣として切り捨てるには惜しい「痛惜(いとお)しさ」すなわち「愛おしさ」を備えているように思われてなりません。

よく学校で「言葉や服装の乱れは、心の乱れ」と教えられましたが、それは逆に「心が乱れるから、言葉や服装が乱れる」とも言える訳で、いかに当時の社会が乱れていたかが偲ばれます。

この『閑吟集』は、とある桑門(そうもん。僧侶)が富士山を遠く望む生活の中でまとめたことが本書の「仮名序」に書かれています。

多くの死を弔い、世の無常を見てきた僧侶なればこそ、いかに拙く、愚かしくとも、人々が熱く生きた刹那々々を和歌に切り取り、無縁仏への供養として後世に残そうとしたのかも知れません。

とっても痛々しくて愛おしい室町時代の中二病文学『閑吟集』には、全部で300以上の歌が収録されているので、是非とも一度手にとって、お気に入りの歌を見つけて欲しいと思います。

【完】

※参考文献:
浅野建二 校注『新訂 閑吟集』岩波文庫、1989年10月16日

 

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