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悪魔なの?天使なの?織田信長の家臣が記した貴重史料「信長公記」から信長の性格に迫る

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市井の者の罪も容赦せん

山崎の町人が、明智光秀と村井貞勝が判決をくだした訴訟に不服を申し立て、信長に直訴しました。しかしそれが偽りの文書だったため、信長は処刑を命じます。

また、無辺という旅僧も処刑しています。この僧は霊験あらかたと評判で、信長は興味を示し無辺を安土に呼び寄せます。そこで無辺をいかがわしいと疑った信長。彼と問答をしてやりこめ、出身地と身分を確かめた後、霊力をみせるという嘘を暴きます。

一度は裸にして縛ったまま町に放免しましたが、女子どもを騙していると聞き及び再度つかまえ、「国の宝を無駄遣いさせるとは不届き千万」と処刑してしまいました。

乞食に情けをかける

かと思えば、たった一人の乞食に情けをかけることもあります。美濃と近江の国境の山中というところに、身体障害のある乞食がおり「山中の猿」と呼ばれていました。

信長は町の者に「乞食はたいてい色々な場所へ行き、さすらうものだが、この者は何故いつもここにいるのか?」と尋ねます。すると「あの者の先祖が常盤御前を殺してから、子孫は体に障害をもって生まれてくるので、代々どこにもいけずここで乞食をしている」と返答されます。

そこで信長は木綿20反を用意し、町の者に「木綿を売り小屋を建てさせ、麦や米を一年に二度ずつ負担にならぬ程度に与えてやってくれたら信長は嬉しく思う」と伝えるのです。
町の人たちは皆涙し、情け深い方だと感動したといいます。

高野聖を成敗

高野山にいる高野聖の数人の取り調べが必要になり、信長は朱印状をもって出頭命令を出しました。しかし信長の派遣した使者10人ほどを殺したあげく、返事を無視しため、数百人を捕らえ処分します。

石山本願寺、比叡山、高野山など僧兵をもち信長に楯突く寺は怒りをかっています。
信長は一度は相手に講和する機会を与えていますが、それを無碍にするととことん容赦しない一面が見て取れます。

宮中の節会を復活させる

寺を焼き討ちするからといって、信長は伝統や信仰心を重んじなかったわけではありません。特に天皇を崇敬し、長年途絶えていた宮中の節会を復活させ、正月には神楽や儀式が行われ、公家たちは大変感謝したといいます。

また、二条に新御所を建造し、皇室へ献上しています。東宮が御所へ移るときのあでやかな行列ぶりに、市井の者はみないい時代に生まれたと信長に感謝したそうです。

また、関所などを撤廃し「楽市楽座」を開き経済を活発化させるという合理的な面は、商人や市井の者には評価が高かったようです。

その一方、嘘や偽りで庶民や自分をたぶらかす人物には容赦がなく、宗教や妄言で人心を惑わす行為が特に許せない面が見て取れます。

俺に従え、反対するなというのは信長側からの一方的な要求ともいえますが、無理難題を押しつけて気まぐれな行動をとっていたわけではありません。失敗や合理的ではない行動を他人がとることが許せない、完璧主義者だったのかもしれませんね。

 

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