反省してるの?平安時代の貴公子・在原行平が謹慎中にナンパした美少女姉妹の恋物語【下】
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反省してるの?平安時代の貴公子・在原行平が謹慎中にナンパした美少女姉妹の恋物語【上】
やんごとなき皇族に生まれながら、不幸な事件の巻き添えで臣下の身分に落とされてしまった「零落のイケメン貴公子」在原行平(ありわらの ゆきひら)は、弟・在原業平(なりひら)に劣らぬプレイボーイ。
ある時、第55代・文徳(もんとく)天皇の勘気をこうむった行平は、京の都を離れて須磨(現:兵庫県神戸市須磨区)の地で謹慎しますが、現地で美少女姉妹をナンパ&ゲット。
姉に「松風(まつかぜ)」、妹には「村雨(むらさめ)」と名前をつけて「俺のモノ宣言」、両手に花のハーレム状態で暮らしていたのですが……。
姉妹と離別し、因幡国へ赴任する行平の想い
別れの時は案外あっさり来るもので、斉衡二855年、文徳天皇の勘気が解けたのか、行平は因幡守(国司)に任ぜられます。
「ただし、ちゃんと現地で任期を勤め上げるように!」
当時、国司には遥任(ようにん)と言ってリモートワークで国を治める(自分は快適な都に留まり、現地には代官を派遣する)形態もあったのですが、文徳天皇は行平にその横着を許しませんでした。
つまり「不便な田舎暮らしに耐えて、真面目に勤め上げれば帰京を許す≒罪を赦す」というメッセージなので、行平としては又とない復帰のチャンスとなります。
「……と言うわけなので、私は因幡国(現:鳥取県東部)へ赴任せねばなりません」
事ここに至って、行平は初めて自分が罪によって流れてきたことを松風と村雨に明かします。
「やはり、あなた様はこのような片田舎に留まり続ける方ではないと思っていました……」
事情を知って納得した松風と村雨でしたが、どうしても行平について行くと言って聞きません。
しかし、いくら兵庫県から鳥取県と隣県への移動とは言え、旅の道中は現代とはケタ違いの労力とリスクを伴うものでした。
「それでも、私たちは行平さまとご一緒したいのです」
「そうです。私も村雨も、あなた様なしでは一日たりとも生きてはおれませぬ……」
困った行平は「いつでも私を思い出せるように」という形見に烏帽子と狩衣(かりぎぬ)を松の枝にかけて、一首の和歌を詠みました。
「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む」
※『古今和歌集』巻第八・離別
あなたがたを愛すればこそ、危険な旅に同行させる訳にはいかないが、あなたがたがいつまでも私を愛し、待ち続けてくれると言うなら、今すぐにでもあなたがたの元へ帰って来ます。
そんな想いを詠まれてしまったら、待ち続けるしかありません。