学問の神様・菅原道真公の怨霊が引き起こした数々の悲劇【後編】:2ページ目
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清涼殿落雷事件
しかし更に不幸は続き、延長8年(930年)朝議中だった清涼殿に、雷が直撃。
時平とともに道真を失脚に追い込んだ藤原清貫(ふじわらのきよつら)、平希世(たいらのまれよ)をはじめ、朝廷要人に多くの死傷者が出ました。不幸続きの心労で醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御。更には承平3年(933年)に時平の長男保忠が死亡。
人々は、いよいよ道真の怨霊の存在を無視する事ができなくなります。
神となった菅原道真公
相次ぐ日照りや疫病の流行、洪水や大雨などの災害もすべて道真の怨霊が原因ではないかとされ、道真公は天暦元年(947年)に北野社において神として祀られることになりました。
一条天皇の時代には道真公の神格化が更に進み、正暦4年(993年)6月28日には贈正一位左大臣、同年閏10月20日には太政大臣が贈られました。
今では道真公は神様となって学芸の道に励む人々の事を優しく見守ってくれています。
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