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虚無僧がイケてる?江戸時代に実際にあったファッションとしての虚無僧スタイル!鈴木春信の魅力 その5 パート2

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仮名手本忠臣蔵

歌舞伎の数ある演目の中でもひときわ脚光を浴びたのが“『仮名手本忠臣蔵』でした。

元禄14年(1701年)3月、江戸城内の松の廊下で、播磨国赤穂藩(現・兵庫県赤穂市)藩主の浅野内匠頭が、幕府での役職にある吉良上野介を斬りつけるという騒ぎが起こりました。

当時、江戸城内での刃傷沙汰はご法度。徳川綱吉は浅野内匠頭に切腹を命じ、赤穂藩を取りつぶしましたが、上野介はおとがめなしでした。

当時は「喧嘩両成敗」が当たり前だったため、不満を持った浅野家家臣たちは「仇討ち」を計画したのです。 そして、元禄15年(1702年)12月14日、家臣47人は吉良屋敷で上野介を殺害し、後世に史実を伝えるために逃がされた1人を除いた46人は翌年に切腹したという「赤穂浪士の討ち入り事件」です。

この事件が江戸庶民の間で話題となり、歌舞伎や文楽で次々に上演され、爆発的なヒット作品となりました。今でさえ12月になれば「忠臣蔵」として、ドラマや映画で描かれるほどの作品です。

『仮名手本忠臣蔵』は十一段の話で構成されていますが、その九段目“山科の雪転がし”という段で虚無僧が登場します。加古川本蔵という人物です。袈裟懸け姿で天蓋を持ち、尺八を携えています。

江戸城内で塩冶判官高定(浅野内匠頭)が高武蔵守師直(吉良上野介)に斬りかかった際に飛び出して塩冶判官高定を後ろから抱きかかえて止めてしまった加古川本蔵。その妻は、娘が大星由良助義金(大石内蔵助)の息子・大星力弥(大石主税)といいなづけの間柄であったため、娘を嫁がせたい一心で白無垢の娘を従えて大星由良之助の家を訪ねる場面です。

「仮名手本忠臣蔵 九段目」芳藤画

「仮名手本忠臣蔵 九段目」「大星由良之助」「大星力弥」「大星妻お石」「本蔵妻となせ」「本蔵娘小なみ」「加古川本蔵」 芳藤画 出典:早稲田大学演劇博物館デジタルアーカイブ

自分が止めたせいで、塩冶判官高定(浅野内匠頭)が思いを果たせず切腹したことに後悔の念をもつ加古川本蔵が虚無僧姿で妻と娘に遅れて、大星家を訪れます。

加古川本蔵の妻と娘を出迎えた、大星由良助の妻は本蔵の無念も知らず、“あのようなものの娘を息子と結婚させることは出来ない。どうしてもというのなら、本蔵の首を差し出せ”と言うのです。

結局、本蔵は息子の力弥に斬りつけられ、その後奥から大星由良之助が出てきます。

大星由良之助は、加古川本蔵が初めから自分の首を差し出す覚悟であったことを見抜いており“貴殿もこれで本望であったであろう”と言葉をかけます。

本蔵は「婿へのお引きの目録」と称して師直邸(吉良邸)の絵図面を渡します。

大星由良之助は討ち入りの用意にすぐに旅立つとし、本蔵の着ていた虚無僧の服を借りた虚無僧姿に変装して家を出ていくという内容です。

九段目は討ち入り前の大詰めを迎える場面で、歌舞伎役者も“忠臣蔵は九段目が良い”と語ったと言われるほどの作品です。

次回に続きます。

 

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