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織田信長の残虐性を表す逸話「比叡山焼き討ち」実はそんなに酷い被害を被ったわけではなかった?

織田信長の残虐性を表す逸話「比叡山焼き討ち」実はそんなに酷い被害を被ったわけではなかった?

さらに、比叡山延暦寺にとって武士との抗争は信長が初めてではなく、信長の前に過去に2回も武士の攻撃にあい、主要な建物が焼失する事件が発生しています。

延暦寺を最初に攻略し、支配しようとしたのが室町幕府の6代将軍・足利義教(よしのり)。また、1499年になると、今度は室町幕府の管領(将軍の補佐役)・細川政元によって焼き討ちされる事件が発生します。

かつて比叡山は多くの僧兵を抱える武装勢力でもあり、桓武天皇から信奉された開祖・最澄(さいちょう)や、その後に続いた名僧たちの威光をもって、朝廷や幕府の政治に影響を与えられるだけの力を持った世俗権力を誇っていたのです。

信長によって焼き討ちがなされた延暦寺ですが、信長は焼き討ちの後、再建も許さなかったため、その後しばらくの間は延暦寺は荒廃した状態で放置されることになりました。

その後、延暦寺の僧たちは、信長に代わって天下人となった豊臣秀吉や、徳川家康に接近しながら、武士との関係を改善していくことになります。そうしてようやく徳川幕府の3代将軍・家光によって根本中堂の再建が許されました。江戸幕府はでは寺院を全て幕府の統制下に置き、好き勝手できないよう制御したため、以後の延暦寺は次第に影響力を弱めていきました。

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