「戦国時代の騎馬合戦は絵空事」説に異議!武士らしく馬上で武勲を立て「槍大膳」と称された武将【上】
近年、歴史研究が進むにつれて「実際のところ、戦国武将はそんなにカッコよくなかった」的な論調が散見されるように感じます。
その一つに「武士が馬に乗るのは移動時だけで、戦闘時には馬から下りていた」という説があり、確かに馬から下りて戦った武士が「いる」ことは史料上に散見されています。
しかし、だからと言ってすべての武士がそうであったという確証にはなりませんし、実際に騎乗して活躍した記録もちゃんと残されています。
そこで今回は、馬上で武勲を立てた、とある戦国武将のエピソードを紹介したいと思います。
「侍の頭を仕つらん者は」……槍大膳の片手綱
今回の主人公は正木弥九郎時茂(まさき やくろうときしげ)。安房国(現:千葉県南部)の戦国大名・里見(さとみ)氏の一門衆として永正十1513年に生まれ、幼少より文武の道に励んだと言われます。
弥九郎は弓馬(ゆんば=武士)の道における当然の嗜みとして馬術も習いますが、12~13歳ごろから片手綱(かたたづな。片手で手綱を操ること)で乗るようになりました。
その様子を見咎めた師範が、弥九郎を諭して言います。
「未熟な内から片手綱をされては基本が身に付かず、見栄えも悪うございます故、まずは両手の手綱さばきを修練なされ」
【原文】「片手綱と申すは、よくよく馬を乗り覚え、巧者になりなされてこそ片手にて召すべきに、未だ鍛錬もまゐらずして、さやうに馬を召すに付きては、その身なりも悪しくおはしますほどに、必ず片手綱無用になさるべし」
※『甲陽軍鑑』品第六「信玄公御時代大将衆の事」より。
基本スキルが身についていない内から、応用テクニックに手を出すな……確かにもっともな指摘です。しかし、弥九郎はそんな常識に真っ向から反論します。
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