「戦国時代の騎馬合戦は絵空事」説に異議!武士らしく馬上で武勲を立て「槍大膳」と称された武将【上】:2ページ目
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「大将たる者、いちいち馬から下りて戦うようではカッコ悪い。軍勢の指揮も戦闘もすべて馬上でこなせるよう、手綱は片手で操れねばならんものじゃ」
【原文】「侍の頭を仕つらん者は馬より下りて鑓を合せ、高名すること多くはあるまじ。馬の上にて下知を致し、そのまゝ勝負をせんならば、片手綱を達者に覚えてこそ」
※『甲陽軍鑑』品第六「信玄公御時代大将衆の事」より。
そもそも片手に何か(槍、采配など)を持って馬に乗ることが前提の武士に、両手で手綱を操る術など必要ありません。例えば極端な話、片腕を切り落とされて(不本意ながら)逃げる時「片手だから馬に乗れない」ではお話しにならないでしょう。
※そもそも(流鏑馬のように)馬上から矢を射る時は両手とも手綱から離さねばならず、鐙(あぶみ)で下半身をしっかりと安定させることが馬術の基本です。
かくして片手綱の鍛錬を重ねた弥九郎は初陣以来、数々の戦場で武勲を立てましたが、いずれも馬上での槍働きによるものでした。
後に大膳亮(だいぜんのすけ)の官途を許され、人々より「槍大膳」と恐れられるようになったそうです。
※参考文献:
佐藤正英校訂/訳『甲陽軍鑑』ちくま学芸文庫、2013年8月5日 第3刷
稲田篤信『里見軍記・里見九代記 里見代々記』勉誠出版、平成十一1999年5月20日 初版
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