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知ったかぶり?おっちょこちょい?初代内閣総理大臣・伊藤博文の若き日のエピソード

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国の代表として認められず?

また、船の上で書記官が女性とトラブルを起こしました。すると、伊藤は「欧米ではこうするのだ」と、船の上で模擬裁判を開きました。それ自体は決して悪くなかったのですが、自らも女性問題を多く起こしていた伊藤が率先して裁判官となって裁きを始めたため、大いに不評を買ったこともあったようです。得意な英語を活かして活躍できるのがよほどうれしかったのでしょう。浮かれすぎた伊藤は明らかに周囲から浮いていました。

まあ、それでも使節団の目的を果たせさえすればよかったんです。ところが、伊藤は大失敗をしてしまいました。なんと、天皇からの委任状をもらってこなかったため、国の代表として認められず、交渉すらさせてもらえなかったのです。

現在と異なり、海外渡航には相当な日数がかかります。トホホな顔で虚しく帰国しようとする伊藤と大久保。残りの者たちでなんとか条約改正の交渉をしますが、アメリカの態度は厳しく、かないませんでした。

木戸は後に日記にこう嘆いています。

「伊藤は外国で条約を結ぶことが国益になるというが、その利益はほとんどない。相手国が欲しいものはことごとく与え、私たちが欲するものは一つもえられていない。これまでの苦心と悔しい思い出、ただ涙するばかりだ」と。

憲法の正本を官邸に置き忘れ

1889年2月11日、日本で初めての憲法となる大日本帝国憲法が発布されました。この日、皇居にて憲法発布の式典が行われました。憲法の制定まで相当な苦労を重ねた伊藤自身にとっては、まさに晴れの舞台でしたが、なんとここでも信じられないことが起こります。

当日、憔悴しきった表情で現れた伊藤に、憲法起草者のひとり、金子堅太郎が「憲法は?」と尋ねたところ、なんと前日に渡されていた紫の袱紗に包まれていた憲法の正本を官邸に置き忘れてしまっていたのです!

最も忘れてはならないものを忘れてきた伊藤の失敗に、側近たちも唖然としたのはゆうまでもありません。

このような知識のひけらかしや、うっかりミスで周囲をあきれさせた伊藤博文でしたが、明治時代の近代化にかけたエネルギーは半端ないもので、忙しく働いた伊藤は、生涯布団の上でゆっくり眠ることはほぼなかったと伝えられています。

参考

 

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