絶世の美男子…戦国時代が生んだ悲運の若武者・木村重成を襲った数々の悲劇
イケメンで初陣の大阪の陣では若いながらも豊臣四天王として活躍を見せた豊臣方のエース的存在、木村重成(きむら-しげなり)。
実際にイケメンだったことは確かで「絶世の美男子」と称され、方広寺のことで徳川家康に弁明に行く際に侍女として女装した時は誰にもバレることのなかった逸話を持つほどです。
そして、性格もイケメンで自分を馬鹿にした茶坊主を許してしまう器量の持ち主で、誰も重成の怒った姿を見たことがないと言われています。
身も心もイケメンな重成ですが、その分度重なる悲劇に人生を翻弄された武将でした。今回は重成を襲った数々の悲劇を紹介します。
父と兄とは生まれてすぐに別れへ
重成の生まれ年ははっきりしていませんが通説では文禄2年(1593)に生まれたとされています。父は木村重茲(きむら-しげこれ)で豊臣秀次に仕えていました。
しかし、重茲は文禄4年(1595)の秀次事件で秀次を弁護したことにより、重成の兄・高成と共に自害となります。当然、重成も処罰の対象でしたが、まだ幼かったことから母・宮内卿局(くないきょうのつぼね)と共に命は取られることはありませんでした。
そして、宮内卿局が豊臣秀頼の乳母となると重成は秀頼の小姓として仕えることになります。2人は年齢が近いこともあって互いを信頼し合い、秀頼が元服すると重成は豊臣家の重臣として重宝されることになりました。
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