虚無僧がイケてる?江戸時代に実際にあったファッションとしての虚無僧スタイル!鈴木春信の魅力 その5:2ページ目
ファッションとしての虚無僧スタイル
さていま一度「風俗四季哥仙 卯月」を見て見ましょう。中央に立つ男性の格好にどうしても目がいきますね。この男性はある程度裕福な家庭の子息で、“虚無僧”のコスプレをしているのです。
というか、この時代のファッショントレンドは虚無僧スタイルだったのです。このようなスタイルは“伊達虚無僧”と呼ばれました。
虚無僧とは
虚無僧とは普化宗の僧のことで、鎌倉時代(1254年頃)に日本に伝わりました。虚無僧は“僧”を名乗りながらも、剃髪しない半僧半俗の存在であると認識されていました。尺八を法器とし、尺八による「音声説教」をしながら托鉢をして、諸国を行脚修行していました。
もともと虚無僧の姿は普通の編笠を被り、白衣を着用し刀を携えていました。何故、僧が刀を携帯していたのかは不思議ですが、千日回峰行の行者や山伏も刃物を所持していました。
しかし笠を被って顔もよく見えず刀を持ち、諸国を修行と称して行脚する虚無僧は、放蕩無頼の者たちには都合が良い姿でした。
いつしか偽の虚無僧が押し売り托鉢のような、尺八を吹いても托鉢を拒否されると軒先で暴れたり、虚無僧姿で悪行をはたらくことが横行し、ついに江戸時代には徳川幕府によって以下のように虚無僧は規定されるまでになりました。
“托鉢の際には藍色またはねずみ色の無紋の服に、男帯を前に結び、腰に袋に入れた予備の尺八をつける。首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には“天蓋”と呼ばれる深編笠をかぶる。足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。”
しかし、顔を隠す天蓋を許し、しかも全国を自由に行脚することが出来たようで、規定としては緩いですね。隠密として虚無僧(姿)を使うという事情もあったようです。
たとえば時代劇のドラマなどで、主人公が虚無僧の集団とすれ違うといきなり虚無僧たちが斬りかかってくるなどというシーンが生まれたのは、そのような虚無僧に“悪のイメージ”があったためです。