貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(二)
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貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(一)
陸奥国の戦国武将・八戸直栄(はちのへ なおよし)の娘として誕生した子子子(ねねこ)は、10歳にして父を亡くし、9歳の叔父・八戸直政(なおまさ)と結婚して婿に迎えます。
幸せな結婚生活の中で一男二女を授かった子子子でしたが、29歳の時に夫・直政が急死、その後を追うようにまだ幼い長男・久松(ひさまつ)も亡くしてしまいます。
男子のいなくなった八戸氏を支配下に取り込みたい南部宗家の主君・南部利直(なんぶ としなお)は、自分の息がかかった家臣と再婚するよう子子子に縁談を持ちかけました。
しかし子子子は「貞女は二夫にまみえず」としてこれを辞退し、出家・剃髪して「清心尼(せいしんに)」と称します。
かくして次の跡取りが決まるまで、八戸氏第二十一代当主として父祖伝来の居城・根城(ねじょう。現:青森県八戸市根城)を預かることとなったのでした。
「大阪冬の陣」で示した主従の絆
さて、亡き夫・直政に代わって御家を盛り立てるべく奔走する清心尼でしたが、家督の継承から半年も経たない慶長十九1614年11月、徳川幕府が豊臣秀頼を討つべく大阪に向けて進軍します。
これが後世にいう「大阪冬の陣」、主君・南部利直はいち早く徳川方に参陣しましたが、八戸氏を含む一族にも加勢するよう命じられます。
直政を失った領内の動揺がいまだ尾をひいており、戦費の調達も儘ならない清心尼は、困り果ててしまいました。
「兵を出せば領民は困窮する。かと言って、この天下の一大事に兵を出さねば『しょせん女子(おなご)に城主は務まらぬ』と内外より見限られてしまう……」
返答の刻限が迫る中、清心尼の元へ八戸氏宿老の新田政広(にいだ まさひろ。清心尼の又叔父)と中館勘兵衛政常(なかだて かんべゑまさつね)がやって来ます。
「尼御台様。此度の出陣、我らに陣代(じんだい。主君に代わって軍の指揮を執る役目)をお申し付け下され」
「天下の一大事もさりながら、今は御家も一大事。兵は我らで調達いたす故、尼御台様は領地の立て直しにご専念召されよ」
「……叔父上がたの御忠節、末代まで忘れませぬ……!」
新田も中館も、みな苦しい台所事情は同じながら、南部宗家に見くびられてなるものかという意地と、懸命に領民を慰撫する清心尼の姿に代々の忠義を新たにした両名は、果たして他家にも劣らぬ軍勢を率いて大阪に参陣。豊臣方との戦で武功を立て、見事に八戸氏の面目を施したのでした。