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諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(中)

諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(中):2ページ目

かつての家人に裏切られ、大宰府からも追われてしまう

さて、福原の旧都を焼き払った平家一門は瀬戸内海を更に西へ、反撃の足掛かりにしようと九州の大宰府(現:福岡県太宰府市)を目指します。

しかし、いざ大宰府に到着すると、豊後国大野郡緒方荘(現:大分県豊後大野市緒方)の住人・緒方三郎惟義(おがたの さぶろうこれよし)が謀叛を起こして大宰府に攻め寄せました。

この惟義、元は重盛に仕えていた者であり、平家一門の形勢不利と見て裏切ったのですが、余力に乏しくできれば戦いたくない平家一門は、どうにか惟義を説得しようと重盛の次男で清経の異母兄・平新三位中将資盛(たいらの しんざんみのちゅうじょう すけもり)を派遣しました。

「そなたは我が父・重盛に仕え、その御恩に与(あずか)っておったではないか……」

しかし交渉はあっけなく決裂。あわや資盛は捕らえられそうになりますが、惟義は「今はこんな小者一人捕らえたところで仕方がない。逃がしてやるから疾々(とっと)と帰れ。後でまとめて討ち滅ぼしてやるから(笑)」と解放。資盛は這々(ほうほう)の体で大宰府に逃げ帰りました。

そして惟義は次男の野尻二郎惟村(のじりの じろうこれむら。肥後国阿蘇郡野尻の住人)を大宰府に派遣。平家一門に対して「平家は我らが代々の主君ですから、本来なら兜を脱いで弓の弦を外して降参すべきなのですが、なにぶん後白河法皇のご命令なので、平家一門を九国(くこく。九州)から追い出さねばならんのです」と伝えます。

3ページ目 惟義、三万余騎の軍勢を率いて大宰府に攻め込み

 

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