ついに人間の世界へ(涙)江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【四】:3ページ目
これまでの足取りをおさらい
さぁ、八丈島までやって来られれば、本土はもう目前です。
長右衛門たちはしばらく八丈島で逗留しますが、これまでの疲れをじっくりと癒し、船の最終メンテナンスに勤しみながら、これまでの苦労を思い返します。
【長右衛門の漂流記録】
※島の名前は現代表記
寛文九1669年
11月15日 紀伊国宮崎(現:和歌山県有田市宮崎)から出港
11月16~17日ごろ 志摩国安乗浦(現:三重県志摩市)に入港、日和待ちで滞在
寛文十1670年
1月5日 志摩国安乗浦から出港
1月6日 遠州灘にて遭難(漂流45日間)
2月20日 母島に漂着
2月21日 勘左衛門が亡くなる
4月8~10日ごろ 船が完成、出航準備
4月11日ごろ 母島から出航、父島に到着(6日間滞在)
4月16日 父島から出航(航海2日間)
4月17日 聟島列島に到着(2日間滞在)
4月18日 聟島列島から出航(航海8日間)
4月25日 八丈島に入港
実質的な漂流生活は1月6日~4月25日の3か月&20日間となりますが、故郷の紀州を出港した11月から、実に半年近くが過ぎていました。
そして5月5日に八丈島を出港した長右衛門らは、6人揃って5月7日の昼に伊豆国下田(現:静岡県下田市)に入港、その足で下田奉行所へ出頭したのでした。
※参考文献:
田中弘之『幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島』中公新書、1997年10月