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オランダ語が苦手…。杉田玄白は「解体新書」翻訳作業の中心ではなかった?

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不完全な部分を残したまま刊行された解体新書

そのうえ、学者肌の良沢が時間をかけて翻訳を勧めたかったのに対し、玄白は虚弱体質だったので、「死ぬ前に本を出したい」と出版に焦っていました。こうして、様々な想いが交錯する中、『解体新書』は不完全な部分を残したまま1774年に刊行されてしまいました。

例えば今も医学用語して伝わっている「十二指腸」。これは明らかな誤訳だそう。本来は臓器の名称ではなく、指の幅十二本分(約25cm)の長さの消化管という意味なのですが、いまだに医学用語として残されています。

このように一番最初に上梓された誤訳の多い『解体新書』について良沢は不満があったようですが、師匠のそんな思いを受けてか、後に弟子である大槻玄沢が改訂版を出版し、師の心残りを解消したようです。

ちなみに杉田玄白は『解体新書』刊行から40年以上生き続け、前野良沢より長生きをしたそうです。

あまり学校の日本史の授業では取り上げられない前野良沢ですが、本当はもっと語られてもよい人物のような気がします。

参考:幕末維新風雲伝

 

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