拷問は蛇つかみ?熱石拾い?飛鳥時代の日本人はどのような暮らしをしていたのか:2ページ目
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政治や刑罰事情
同書には、政治についての記述もあり、それによれば、地方の政治には地方長官のような存在が120人いて、その下に80戸に1人のリーダーがいるという二段階の行政組織が存在していたとあります。
もちろん、刑罰についてもある程度整っていたらしく、殺人、強盗、姦通は死罪。そして、窃盗には財産刑が課されていました。財産のないものが窃盗した場合、被害者の奴婢になったそうで、かなり厳しいきまりが取り決められていたことが分かります。
またこのころから、罪状の軽重によって流罪や杖罪もありました。犯人の取り締まりの際には、熱湯の中の小石を拾い上げさせたり、甕のなかのヘビをつかまえさせるといった拷問も行われていたそうです。
このように『隋書倭国伝』を読み解いていくと、現在の我々にはまるで別の国のことかのような錯覚を得ているような気分になります。
もちろん、そのすべての記述が真実かどうかということは、改めて検討していかなければなりませんが、このような過去の公的な記録が、当時の中国人に対する日本人のイメージ形成に関係したということを、覚えていても損はないとおもいます。
参考:『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 新訂』石原道博(翻訳)
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