性欲には勝てず…戦国時代「大坂の陣」でとんでもないことをやらかした武将・薄田兼相のエピソード:3ページ目
最後に見せた勇姿が漢前すぎる!
汚名を返上する機会をうかがっていた兼相は慶長20年(1615)に起きた大坂夏の陣で活躍します。
この時兼相は後藤又兵衛の援軍として出陣しますが、濃霧によって到着が遅れてしまいます。兼相が戦場だった道明寺に着いたころ、又兵衛は8時間の奮戦の末、討ち死にしていました(道明寺の戦い)。
ここで兼相は潔く散る覚悟を決め、味方が退却している最中30人の手勢で伊達政宗や水野勝成に立ち向かいます。
乱戦の中、兼相は馬上で大太刀を振るい討ち死にしました。この奮戦によって兼相の汚名は返上されることになりました。