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日本のシンクロは古来の「日本泳法」に原点あり?「いだてん」第31話振り返り:2ページ目
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日本のシンクロは日本泳法が土台になっている
実はその通りで、日本泳法の技術にはアーティスティックスイミングに共通する部分があるのです。
そもそも日本選手たちが短期間でメダルを独占するまで成長したのは、日本泳法で下半身が鍛えられていたから、というのもあるそうで。
当時の世界のクロールはバタ足(キック)よりも両手で水をかくほうに重点を置いてスピードを出していたようなのですが、日本選手たちはもともと下半身に重点を置く日本泳法で鍛えられていたため、その分パワーが勝ったのだとか。
日本泳法はそのほかにも水球などに求められる技術にも共通する部分があり、あらゆる競技の土台になっていそうですね。
アーティスティックスイミング(シンクロ)といえば、関西が強いですよね。とくに有名なのが、スパルタ指導で知られる井村コーチ。その井村雅代コーチが小学校時代から水泳を学んだのが、大阪府堺市にある「浜寺水練学校」です。
100年以上の歴史がある学校ですが、もともとは日本泳法を教える水連学校として始まったのだそう。そしてそのなかで、女子が笛や号令、音楽に合わせて能島流泳法(複数ある流派のひとつ)で泳ぐ、というものがありました。「楽水群像」というもので、これが日本のシンクロの土台となったといわれているのです。
日本でシンクロが実演されるのは昭和29年からですが、楽水群像はそれよりも前から始まっていました。日本泳法のいくつかの技術にはアーティスティックスイミングに共通する要素もありますから、実演スタート時から存分に日本泳法の技術が生かされたことでしょう。
浜寺水連学校は日本のアーティスティックスイミング発祥の地ともいわれています。
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