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人見絹枝。スポーツに生き”スポーツに死んだ”女性アスリート「いだてん」第26話振り返り:2ページ目
銀メダルだけど、タイムは金と同じ!
ほとんど100mに注力していましたが、800mにも出場することを決意し、見事銀メダルを獲得しました。
タイムは2分17秒6。1位のラトケ選手とは胸一つ分の差しかなく、記録は同じでした(世界タイ記録)。
オリンピックこそ優勝を逃しましたが、その前後に参加した各種大会では100mや走り幅跳びなど複数種目で7度も世界記録を樹立する選手でした。
スポーツが殺したのではなく、スポーツに死んだのです
オリンピック以外でも世界各地を飛び回り、日本の女子スポーツ発展に大きく貢献した人見絹枝ですが、無理がたたって24歳の若さで亡くなります。
1931年、オリンピックでの快挙から3年後のことです。スポーツ選手として、そして新聞記者として精力的に活動していましたが、3月に病で床に伏してしまいます。過労でした。喀血し、肋膜炎で入院することになります。そこからはわずか数か月の間にみるみる弱り、7月には肺炎を併発。お見舞いに訪れた恩師・二階堂トクヨや共にオリンピックへ行った仲間である織田幹雄らは変りはてた姿に驚いたといいます。
結局そこから快癒することなく、絹枝は8月2日に息を引き取りました。その日は奇しくも、銀メダルを獲得したのと同じ日でした。
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