『豊臣兄弟!』濃すぎた前半戦を総まとめ!史実と違いすぎた名場面&衝撃シーンを一気に振り返る【前編】
大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しんでいますか?1月の放送開始から毎回欠かさず観ていたら、いつの間にか6月も終わってしまいました。
早くもロス(放送終了後の喪失感)を懸念する声も出ているようですが、豊臣兄弟(羽柴兄弟)の活躍はここからが本番と言えます。
それでは第1回「二匹の猿」から第25回「変事の予兆」までを振り返り、史実や通説と照らし合わせながら、後半戦の見どころを予習してまいりましょう!
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小一郎の前半生(略年表)
まずは小一郎(豊臣秀長)の生涯を略年表で振り返りたいと思います。
- 天文9年(1540年) 誕生(1歳)
- 時期不詳 秀吉の紹介で織田家臣(陪臣)となる(20代半ば、美濃攻略期か)
- 時期不詳 慶(慈雲院)を正室に迎える(与一郎の出産時期から推測)
- 永禄11年(1568年) 信長の上洛に従軍したと見られる(29歳)
- 元亀元年(1570年) 金ヶ崎の退口(31歳)
- 天正元年(1573年) 秀吉が長浜城主となり、留守を預かることも(34歳)
- 天正2年(1574年) 秀吉の代理として長島一向一揆鎮圧に出陣(35歳)
- 天正3年(1575年) 秀吉から羽柴の苗字を許される(36歳)
- 天正5年(1577年) 竹田城を攻略し、その城代となる(38歳)
- 天正6年(1578年) 別所長治(下川恭平)が離反し、その討伐に参加(39歳)
- 天正7年(1579年) 引き続き別所討伐で歴戦する(40歳)
- 天正8年(1580年) 別所一族が滅亡して播磨平定、但馬国も平定する(41歳)
小一郎が織田家に仕官したのは、兄の秀吉が織田家中で台頭した永禄4~8年(1561~1565年)以降でした。よって第10回放送「信長上洛」以前における小一郎の活躍は、概ね史実を織り交ぜたフィクションと考えられます。
例えば序盤のハイライトであった桶狭間の戦い(永禄3・1560年)には秀吉すら参加していたかが怪しいため、小一郎は故郷の中村で百姓をしていたのでしょう。
小一郎が織田家臣となったのは織田信長(小栗旬)が尾張一統を果たし、美濃攻略へ乗り出した時期と考えられます。
はじめは秀吉の家臣扱いであった小一郎ですが、次第に才覚が認められたようで、秀吉と対等な織田家臣として活躍するようになりました。
また第25回放送「変事の予兆」では安土城の完成を祝う席にいた羽柴兄弟ですが、実際には中国地方で毛利輝元(濱省吾)らと死闘を繰り広げていたと考えられます(他の名だたる家臣たちも同様)。
本作は史実や通説から大きく外れた部分も多いようですが、だからこそ「実際はどうだったのかな?」と興味を持って調べる楽しみがあると言えるでしょう。


