日本のレジャーの原風景『スワンボート』なぜここまで定着?爆売れさせた奇跡の改良…それは“しっぼ”
日本の水辺の風景といえば、真っ先に思い浮かぶのが「スワンボート」ではないでしょうか。のどかな公園の池や、山々に囲まれた湖で、優雅に、あるいは必死に足を動かして進むあの白い鳥の姿は、いまや日本のレジャーにおける「原風景」の一つと言っても過言ではありません。
しかし、なぜこれほどまでにスワンボートが日本中に普及したのか、その背景に隠されたドラマを知る人は意外に少ないものです。そこには、一企業家の情熱と、時代の変化、そして「しっぽ」が生んだ奇跡のヒット物語がありました。
ボストンから群馬へ
スワンボートの歴史を遡ると、意外にもその発祥は日本ではありません。世界初のスワンボートは、1877年にアメリカのボストンにあるパブリック・ガーデンで誕生しました。
当時、ロバート・ワグナーという人物が、ワーグナーのオペラ『ローエングリン』に登場する騎士が白鳥に導かれるシーンにインスピレーションを受け、白鳥を模したボートを作ったのが始まりとされています。
しかし、現在私たちが日本の各地で目にしているスワンボートは、このボストンのものとは異なります。日本にスワンボートを定着させたのは、群馬県邑楽郡明和町にあるボートメーカー、株式会社スナガ(旧・砂賀造船所)でした。
法律の改正がスワンを生んだ?
1970年代前半、日本の水辺のレジャーは今とは少し異なる様相を呈していました。当時は手漕ぎボートに加え、小型のエンジンを搭載したモーターボートが人気を博していました。当時は免許がなくても手軽に乗ることができたため、多くの子どもたちや家族連れがスピード感を楽しんでいたのです。
ところが、手軽さゆえに事故が相次ぐようになります。これを受けて1974年(昭和49年)、船舶職員法(現在の船舶職員及び小型船舶操縦者法)が改正されました。これにより、たとえ小型の動力付きボートであっても、操縦には「小型船舶操縦士」の免許が必要になったのです。
この法改正は、水辺の観光地に大きな打撃を与えました。免許を持たない一般の観光客がエンジン付きボートに乗れなくなり、水辺から子どもたちの歓声が消えてしまったのです。
2ページ目 運命の白鳥との出会い 〜 しっぼが起こした逆転劇

