幕末の人斬り・岡田以蔵はなんと拳銃を所持!勝海舟を護衛!史実が語る“悲劇の暗殺者”の実像【後編】
誤解された殺し屋
前編では、一般に定着している「人斬り以蔵」こと岡田以蔵のイメージとその根拠について見てきました。
幕末の人斬り・岡田以蔵のイメージに潜む多くの誤解——創作が歪めた史実とのギャップを解説【前編】
とりわけ歴史ドラマや小説・漫画が好きな人にとっては、岡田以蔵というのは身分制度における被抑圧者であり教養のない殺し屋だったというイメージが根強いでしょう。
小説やドラマ、漫画などの創作の中で強調されがちな彼の人物像には、大きく分けて三つの誤りが見られます。
一つ目は足軽出身で貧しいという点ですが、これは前編で説明した通りで、もともと彼は郷士の家の生まれであり、しかも順調に出世していった家柄だったことが分かっています。
二つ目は粗暴で教養がないというイメージです。しかし、藩の重要な任務である参勤交代の護衛に抜擢されていることから、一定の信頼と能力があったと考えられます。
敵対者の護衛も
そして三つ目は、師である武市半平太に認められたい一心で、汚い仕事を引き受けたという筋書きです。
彼は尊王攘夷派の過激派として、京都町奉行所の役人を襲ったり、幕府のスパイと見なされた人物の殺害に関与したりしました。それは、上記のような動機に基づくという根強いイメージがあります。
しかしこれも誇張であり、彼の実際の活動を見てみると、暗殺よりもむしろ要人警護の任務が多かったことがわかっています。
例えば、京都では公家である姉小路公知や三条実美の護衛として江戸へ同行しています。
また、坂本龍馬の仲介で、幕府の重要人物である勝海舟の護衛を務めたのも有名な話ですが、これは事実です。
実際に刺客に襲われた勝を、以蔵が守ったという記録が勝海舟の回想録『氷川清話』に残されています。
土佐勤王党の一員でありながら、敵対するはずの幕府側の人間を守るというのは異例のことです。
これは、彼がただの命令待ちの人間ではなく、状況を理解し柔軟に判断できる人物だった可能性を示しているといえるでしょう。



