江戸時代の“戦わない武士”たちの実態──内職や借金に頼っていた、武士の深刻すぎる現実とは
「武士」と聞くと、刀を手に戦場を駆ける姿を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、江戸時代は約二百六十年にわたり、戦国時代のような大きな戦争がほとんど起こらなかった時代です。
では、その長い平和の中で、武士たちはどのような生活を送っていたのでしょうか?
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結論から言えば、江戸時代の武士が日常的に刀を抜くことはほとんどありませんでした。
町中で刀を抜いて人にけがをさせる「刃傷沙汰」は重い罪とされ、武士にとっても大きな不名誉でした。
刀は実際に使う武器というより、「自分が武士であることを示す身分の証」としての意味が強かったのです。むやみに刀を抜くことは、武士としての評価を下げる行為でした。
戦わない時代の武士の仕事
戦がなくなると、武士の役割は大きく変わります。年貢の管理、書類の作成、町や農村の見回り、裁判の補助など、仕事の中心は行政に移っていきました。
現代で言えば、役所で働く公務員に近い存在です。そのため、剣の強さよりも、読み書きや計算、公平に判断する力が求められるようになりました。
こうした変化に対応するため、武士の子どもたちは藩校などで学びました。朱子学をはじめとする儒学や、読み書き、そろばんなどを学び、「学問を身につけた武士」として育てられていきます。
江戸時代後半になると、武士は知識人・教育者としての役割も担うようになっていきました。
武士の給料は決して十分ではなかった
しかし、生活は楽ではありませんでした。武士の給料にあたる「禄」は身分によって決められていましたが、物価の上昇や出費の多さに対して十分とは言えないことが多かったのです。
とくに下級武士にとって、家族を養い、家を維持し、武士らしい身なりを保つことは大きな負担でした。
2ページ目 内職や借金に頼る武士たち、身分と現実のあいだで揺れる心……
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