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蘇我馬子が建てた日本最初の寺「法興寺」(後の飛鳥寺)はなぜ国家プロジェクト級だったのか?

蘇我馬子が建てた日本最初の寺「法興寺」(後の飛鳥寺)はなぜ国家プロジェクト級だったのか?

飛鳥時代の日本では、政治を動かしていたのは必ずしも天皇だけではありませんでした。
その背後で圧倒的な影響力をふるっていたのが、蘇我氏という一族です。

なかでも蘇我馬子は、敏達・用明・崇峻・推古の四代の天皇に仕え、五十年以上にわたって政界の頂点に立ち続けた人物でした。邸宅には池と島があり、その豪華さから「嶋大臣」と呼ばれていたと伝えられています。

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日本初の本格的な仏教寺院・法興寺

馬子の名を最も後世に残したのが、日本初の本格的な仏教寺院である法興寺(のちの飛鳥寺)です。

百済から僧侶や工人を招き、瓦博士や画工、寺工など当時の最高技術を導入して建てられました。その規模は国家事業をも上回り、まさに「蘇我氏の力を見せつける巨大プロジェクト」だったといえます。

仏教をめぐる国家分裂と丁未の乱

当時の日本では、仏教を受け入れるかどうかをめぐって国が二つに割れていました。
蘇我馬子は新しい思想を積極的に取り入れる開明派、対する物部守屋は古来の神々を守る保守派でした。

両者の対立は激化し、587年に「丁未の乱」が勃発します。馬子は聖徳太子と協力し、仏法を守ることを誓って戦いに挑みました。結果は蘇我氏の勝利であり、仏教が日本に根付く大きな転換点となりました。

2ページ目 飛鳥にそびえる蘇我氏の象徴

 

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