「大工さん」はかつては公務員だった!古代日本の建築職人の社会的地位に関するトリビア
あの偉人が「大工の神様」
歴史上の人物で、大工の神様と呼ばれているのが聖徳太子です。
聖徳太子と言えば飛鳥時代の政治家で、長年、遣隋使の派遣や冠位十二階・十七条の憲法を定めた日本史上屈指の偉人として学校でも教えられてきました(近年はそれらの実績の真偽は疑問視されていますが)。
なぜこの人が大工の神様なのでしょうか。一説によると、彼は現代にも伝わる大工道具の「差し金(曲尺)」を中国から持ち込み、日本の職人たちに広めたとされています。
また、建築に携わる職人の育成や組織づくりにつとめ、法隆寺をはじめとする寺院の建立にも尽力したことから、建築・土木の守護神として信仰されて神聖視されるようになったのでしょう。
そんな聖徳太子がつくった建築技術者の組織では、土にかかわる職人が左官、木にかかわる職人が右官と呼ばれていました。
このうち左官は、塗装職人の名称として現在も残っていますが、右官は後に大工という名称に変わり、さまざまな専門ジャンルに枝分かれしていったのです。
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「大匠」から「大工」へ
さて、大工の職業的地位について、ここでちょっとしたトリビアです。
大工といえば今は建設工事を請け負う人たちを指しますが、奈良時代は違っていました。古代日本の大工は、官僚社会の一員であり公務員だったのです。
奈良時代よりも前は、大工は「大匠」と呼ばれ、官名の一種でした。
大匠という名称は、古代中国の建設担当役所の長官である「将作大匠」を略したもののようです。将作大匠は旧字で將作大匠と書き、宮殿や宗廟等の造営、広く土木工事に携わりました。
日本では奈良時代になると、この肩書が「大匠」から「大工」に変わります。特に、建設事業担当の役所である木工寮の技術系のトップが「大工」と呼ばれるようになりました。
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