まひろ(紫式部)とは同年代。清少納言『枕草子』にも登場する藤原宣孝の長男・藤原隆光とは?【光る君へ】
NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?
第13回放送「進むべき道」では、まひろ(紫式部)の父・藤原為時が、僚友である藤原宣孝の息子を婿にとりたい=まひろと結婚させたいと話していました。
「いやいや、とてもまひろの学識とは釣り合わない」
そう辞退した宣孝でしたが、実際どんな人物だったのでしょうか。
今回は藤原宣孝の長男・藤原隆光(たかみつ)を紹介。大河ドラマ「光る君へ」の予習になるかも知れません。
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道長の側近として活躍
藤原隆光は天延元年(973年)、宣孝と藤原顕猷女の間に誕生しました。
本作におけるまひろが天禄元年(970年)生まれ説を採用しているので、3歳年少ですね。
兄弟には藤原頼宣(よりのぶ)、藤原隆佐(たかすけ)、明懐(みょうかい。出家)、儀明(ぎみょう。出家)、藤原賢子(けんし/かたいこ。大弐三位)、女子(藤原道雅室)がいます。
長保2年(1000年)に主殿権助(とのものごんのすけ)となり、翌長保3年(1001年)には天皇陛下の側近である六位蔵人(ろくいのくろうど)に補されました。
熱心な働きぶりが評価されたのか、寛弘2年(1005年)には蔵人式部丞(~しきぶのじょう)に昇進します。
寛弘末期に従五位下と叙され、蔵人大夫(くろうどのかみ)となりました。
この頃、藤原道長の近習として仕えてもいます。
治安3年(1023年)ごろに皇后宮大進(こうごうぐうのだいじょう/だいしん)となり、後一条天皇の皇后・藤原威子(いし/たけこ)に使えました。
治安4年(1024年)には正五位下と昇進し、その後に主殿頭(とのものかみ)を経て長元3年(1030年)には正四位下となります。
のちに左京大夫を務めたほか、越前(福井県)・筑前(福岡県)・備中・備前(いずれも岡山県)の4ヶ国で受領(ずりょう)を歴任しました。
藤原隆光の没年は不詳。2人以上の妻との間に六男一女を授かります。
【藤原隆光の子女】
- 藤原隆経(母親:家女房)
- 藤原隆方(母親:源国挙女)
- 藤原隆成(母親同じ)
- 藤原隆清(母親同じ)
- 林慶(出家。母親は不明)
- 教意(出家。母親は不明)
- 女子(藤原良経室。母親は不明)