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まひろ(紫式部)とは同年代。清少納言『枕草子』にも登場する藤原宣孝の長男・藤原隆光とは?【光る君へ】

まひろ(紫式部)とは同年代。清少納言『枕草子』にも登場する藤原宣孝の長男・藤原隆光とは?【光る君へ】

『枕草子』にも登場

以上、藤原隆光の生涯を駆け足でたどってきました。

ところで藤原隆光と言えば、永祚2年(990年)3月に、父と一緒に御嶽(みたけ)詣でへ行ったエピソードが有名ですね。

……右衛門の佐宣孝といひたる人は、「あぢきなき事なり。ただきよき衣を着て詣でんに、なでう事かあらん。必ずよもあやしうて詣でよと、御嶽さらに宣はじ。」とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が、主殿の助なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、かへる人も今詣づるも、めづらしう、あやしき事に、すべて、むかしよりこの山に、かかる姿の人見えざりつ、と、あさましがりしを、四月一日にかへりて、六月十日の程に、筑前の守の辞せしに、なりたりしこそ、げにいひにけるにたがはずも、ときこえしか。これはあはれなる事にはあらねど、御嶽のついでなり。……

※清少納言『枕草子』第119段「あはれなるもの」より

【意訳】右衛門佐(うゑもんのすけ)の宣孝という人は「下らない。神前で上等な服を着て何が悪いんだ。神様が『粗末な服を着てこい』とでも言ったのか?」と言って、たいそう派手な装束で参拝していた。
一緒にいた息子・(主殿助隆光)も青に紅に乱れ刷り模様という個性的ないでたちで参拝。
人々は例のないこととしてバカにしていたが、やがて昇進の辞令が下ったという。
「派手な格好が神様の目にとまったからじゃないの?」
いざそうなるとみんな掌を返し、口々に妬んだとか。

……というエピソードが伝わっています。

後に紫式部は宣孝と結婚しますが、連れ子ともどもバカにされたことで、清少納言を嫌うようになったとの説もあるそうです。

今後、隆光に大河ドラマ登場のチャンスはあるのか、楽しみにしています!

 

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