幕末の志士たちを震え上がらせた新選組!10人の組長たちの終焉を紹介【後編】
前編では「新選組(しんせんぐみ)」の一番隊組長から五番隊組長まで紹介しました。
幕末の志士たちを震え上がらせた新選組!10人の組長たちの終焉を紹介【前編】
後編では六番隊から十番隊までの残り5人の組長の人物像と、彼らの終焉の時を紹介します。
新選組組長の人物像と終焉の時 六番隊から十番隊まで
六番隊から十番隊も個性派揃いの組長が並びます。中には生存説まで飛び出てきたり、未だ死因が謎に包まれたままだったりする組長も。
井上源三郎 六番隊組長
局長である近藤勇の兄弟子だった井上源三郎は、見た目も行動も派手ではありませんでしたが、天然理心流の免許皆伝の腕前は確かなものでした。
人斬り集団の新選組の組長というイメージは全くありません。しかし、近藤や土方からの信頼は絶大で家族のような存在でした。物静かでしたが頑固な面も持ち合わせていたと言います。新選組での働きも六番隊組長にふさわしい活躍を続けました。
井上源三郎の終焉
鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)の3日目に銃弾を腹部に受け戦死。享年40歳。最後まで己の「士道」を貫いた生涯でした。
甥の井上泰助が後に「源三郎の首を持ち帰ろうとしたが、重くて近くの寺に埋めた」と証言しています。しかし、どこに埋めたかは不明です。
谷三十郎 七番隊組長
七番隊組長の谷三十郎は、槍術師範でもあり腕も確かなようでした。その証拠に新選組では、池田屋事件他いくつかの活躍が記録として残っています。ただし、性格に難ありで横柄な気質だったようです。
武士の身分だった谷三十郎は、近藤にとっては魅力的であり頼りになる存在でもありました。
谷三十郎の終焉
新選組の七番隊組長なのにあまり名前があがって来ない理由は、突然の死が原因です。そして未だに死因は謎のまま。新選組組長として一瞬輝きを放って消えていった34年の生涯でした。
隊内で何か問題を起こし斎藤一に暗殺された、大酒飲みで脳槽中で急死したなど、その死にはいくつかの説があります。
藤堂平助 八番隊組長
藤堂平助は、若くして剣の才能もあり最年少組長でした。新選組では「魁先生(さきがけせんせい)」と呼ばれ、戦闘では先陣をきる血気盛んなところを見せていました。新選組でも重要なポジションを任され、近藤や土方の信頼も厚かったようです。
北辰一刀流の目録(免許に匹敵)を十代で取得するほどの腕前でした。新選組参謀となる「伊東甲子太郎」を招き入れたのは、伊東の寄り弟子であった藤堂平助でした。しかし、この伊東の入隊が平助の人生の岐路となったのです。
藤堂平助の終焉
伊東甲子太郎の寄り弟子でもあった藤堂平助は、伊東が新選組を脱退し、御陵衛士となった時も付き従って脱退します。最終的に伊東が近藤や土方を殺して新選組隊士を御陵衛士に取りこもうとした陰謀がばれて、暗殺されます。
伊東の亡骸が道に捨て置かれているのを運びに来たところを新選組に取り囲まれ、「平助だけは助けよ」との近藤や土方の思いもむなしく斬りあいの末、命を落とすことになったのです。家族のように信頼された新選組に、最期は殺されてしまった悲しい23年の短い生涯でした。