沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【後編】
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。前回は沖縄にも戦国時代のように群雄割拠のアツいバトルが繰り広げられた「三山時代」が存在していた事をご紹介しました。
沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【前編】
今回も前編に引き続き沖縄の戦国時代とも呼べる「三山時代」、尚氏による琉球王国統一までの歴史についてご紹介します。
ついに北山制覇
琉球統一の第一歩として北山王国を攻めた連合軍は天然要塞の今帰仁城攻めに非常に苦心し、3日経っても落とせなかったため危機感を覚え、尚巴志の右腕、中城按司の護佐丸の計略に従って別の手に出ます。
「北山の内部から崩す」。護佐丸は攀安知の右腕である臣下の本部平原(もとぶていはら)に密偵を送り、賄賂を渡し、裏切るようにけしかけたのです。
こうして策略通り今帰仁城は内側から崩れ、攀安知は自害。北山王国はついに攻め滅ぼされ、攀安知に代わって尚巴志王の次男尚忠が北山監守(看守)に就きました。
策略が功を奏した南山攻め
尚巴志は、1421年に父の尚思紹王が薨去すると1422年に中山王に即位。尚巴志王となります。
残された課題は南山。南山王・他魯毎(たるみい)は暴君の呼び声高く、領地の人民にあまり人気がなかったといいます。今回も南山王国を北山の時のように内側から崩壊させられるのではないか。そう考えた尚巴志は策略を練ります。
そして南山の領民にとって生活に欠かせない貴重な水源であった嘉手志川に目を付けたのです。尚巴志はある時、他魯毎にこういう話を持ち掛けます。「そなたの領地の嘉手志川と我が宝の金の屏風とを交換しないか?」と。
ついに琉球統一
領民の事を第一に考える王であれば、もちろん金の屏風ごときと領民の生命線である湧き水の川を交換するはずがありません。しかし他魯毎は私利私欲が最優先の暴君です。
南山の領民の事など顧みず、なんとこの話に飛び付き、ついに川の利権を引き換えに宝物を受け取ってしまいます。領民たちはいよいよ他魯毎に失望。君主としての信頼を完全に失ってしまいます。
1429年、尚巴志はついに南山王他魯毎を滅ぼして第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝を成立させました。